日曜日のひとりごと 2020~2023

 

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2023年12月31日

今日は大みそか。

いよいよ明日は元日だが、特に予定もなく、

家にいることになるだろう。

でも新しい年、今年は自分なりの予定を立てて

いつもと変わらず、しっかり生きていこう。

来年もよろしくお願いします。


2023年11月

50周年パーティ、私は何にも手伝えなかったが

こんなに盛大になった。

皆さん本当にありがとう。

お客さんが大きな紙に50周年おめでとうと、

何度も何度も大きさを変えて書いてくれました。

立派な字で本当にありがとう。

壁に貼った、3月に帝国ホテルで撮った

家族と一緒の写真、とても気に入っています。

この狭いお店に20人も入ったらもう一杯。

お花を数えきれないほどいただき、

胸がいっぱいになりました。

私はみんなが喜んでいるのを座って見ていました。

幸せをかみしめて。

これからも、いつもとおなじようにやっていきます。


2023年8月

ニュージーランド出身のNさんという青年が

渋谷ヒカリエにある和食の店に招待してくれた。

8階まで一気にエレベーターで。

広いフロアでしばらく待っている。

Nさんは常連らしく、

お店の人と親しく話している。

食事は海外からのお客を意識した内容、

消化のよいものが多くおいしかった。

8階から見下ろす渋谷の風景は、

中々すばらしかった。

何よりもNさんの誘いがうれしかった。

Nさんは私のインタビューをしてくれるという。

私が歩いた世界のあちこち、

思い出すだけでよく行ったと思う。

どんな記事にになるのか楽しみです。

いつまでも、すばらしい友だちでいてください。

 

2023年7月

渋谷スカイに行った。

家族が私をどうしても連れて行きたいと言い、

私もその気になり、その日を待ちわびて出かけた。

47階の屋上まで上るという。

私は歩行器に体を預け、緊張して出かけた。

9時前に出発、バスの時間を調べていたので、

スムーズに渋谷駅に到着、

渋谷スカイがある建物に向かう。

エレベーターで14階で乗り継いで、一気に46階、

そして屋上まで上った。

気持がいい、そんなに高くなく感じる。

でも写真を撮ろうとして端のほうに行ったら

足がすくんでしまった。

46階に戻り、バーで珈琲をゆっくりと飲む。

(この日はとても暑く、36℃にもなり、

私たちが戻った後、屋上は閉鎖されてしまった)

帰りはさすがに疲れ、帰宅後すぐに寝てしまった。

でも、ほんとによい思い出になった。

家族のおかげ、今は本当に幸せです。

 

2023年5月

ささやかに一品持ち寄りパーティーをした。

家族がすべてやってくれた。

私は一歩下がった気持で、

みんなにあいさつをした。

ありがとう、とてもこじんまりとした、

とてもいいパーティーでした。楽しかった。

もう本番のパーティーも、何とかできそうです。

前を向いて家族にまかせていこう。

私は昔のはなしをしてしまった。

民芸にいた頃のはなし。

なつかしい!!

これからすべての人といっしょに

楽しく生きていこう。

 

2023年4月

4月に入った。

桜の花を見る暇なく、

季節はどんどん過ぎていく。

4月下旬、ブラジルからのお客さんが

カップルで来店。

日本には観光に来て、翌日帰るとのこと。

ノンアルコールビールの注文を受けたが、

在庫がない。

その時ちょうど来ていたNさんが、

代わりに買ってきてくれた。

助かった、ほんとうに助かった。

ブラジルのお客さんは、帰るときに、

「日本での最後の夜、

このお店に来て本当によかった、

すばらしかった」と言ってくれた。

嬉しかった、ほんとうにありがとう、

改めてNさんにも…。

先のことはわからないが、

一日一日を大事にしていこう。

 

2023年3月26日

Iさんご夫婦とお子さんたちが来店した。

Iさんが初めて来てから

20年以上の月日がたったのがすごい。

東大生だったが、色々あって

大学を入りなおし、今は

ホスピスの仕事に専念しているという。

すばらしい、立派だと思った。

 

2023年3月19日

私はこの日を待っていた。

日比谷の帝国ホテルに家族の誕生日を

祝いに一緒に出かけた。

タクシーは乗らないで電車で行った。

足が思うように動かず

家族に腕を組んでもらってやっと歩けた。

つらかった。

毎日歩く練習をしていたが、

ちっとも良くなっていないことがわかった。

しかし美味しい紅茶をいただいたら

元気になった。すばらしい。

館内のお花をバックに写真を撮った。

意外とよく撮れている。

ホテルの人の親切がうれしかった。

ありがとう。

これからも精一杯お店をやります。

どれだけ生きるかわからないけど

今とても幸せです。

 

2023年2月

先日お会いしたお客様のこと。

年配の男性と姪だという若い女性の二人連れ。

お店の開店と同時に入店、

ウィスキーをオーダーした。

私は足が悪いけれど

できるだけお店に出ています、

体が不自由ですみませんと言ったら、

50周年になるんですね、おめでとうございます、

また必ず来ますと言って帰っていった。

うれしくて涙をぐっとこらえた。

うれしかった。

これからもできるかぎりお店に出よう。

 

2023年1月

何気なくだけど新しい年、

いや今年は50周年を祝う年だ。

お正月は何もしないで静かにすごす。

バスに乗って渋谷まで一回り。

お正月なので人も少ない。

歩道橋を歩いた。とても気持ちよかった。

これからは一年一年、生かされていく年齢。

 

訃報があった。

あまりのことにびっくりした。

子どものことでとてもお世話になり

忘れられない人。

静かに眠ってください。

私は直らなくても生きられるだけ生きて

お店続けます。

 

2022年12月

POSYは来年で50周年を迎えます。

感無量です。

家族へ、ありがとう。

本当に頑張ってくれたね。

私のあとをお願いします。

最後まで私はあきらめない!

 

2022年11月

11月19日土曜日、

49周年パーティをささやかだけど

とても楽しく開くことができた。

毎年来てくれている人、

久しぶりに来てくれた人、

みんな本当にありがとう!

 

2022年10月

10月の最後の日曜日、いつもの散歩中、

最後の横断歩道を渡った後、

転んでしまった。

本当にあっという間だった。

救急車に乗って、世田谷中央病院へ。

右ひざ骨にヒビが入り、ギブスをつけた。

それから半月寝たきりになってしまった。

今は少しよくなってきたが、

小脳出血の後遺症のふらつきは、

治らないとはっきりわかった。

でも私はやる、言葉が話せる、お客さんと会える。

お店やっていこう!!

 

2022年9月

9月の日曜日、千葉県の稲毛というところにある

ジャズ喫茶 CANDYに行った。

友達に一緒に行かないかと誘われていたが

忙しそうだったので先に家族と一緒に出かけた。

新宿から総武線で稲毛駅まで1時間以上、

遠かったがずっと座れたので助かった。

駅から4~5分といっていたが、足が悪い私には遠く感じた。

中に入ると、店内はジャズ一色、

音もしっかりしていてさすがだった。

私の大好きなコルトレーンの

ディア・ロードをリクエストするが

レコードプレーヤーを修理していて、ちょっと残念。

かわりにCD盤をかけてくれた。

その後、セルフレスネスやマイルスと一緒に

プレイした盤も聞かせてくれた。

最後、ママに見送られて、帰路についた。

 

2022年8月

8月が終わろうとしている。

本当に暑かった。

体には充分気をつけ、水分を取るようにした。

今月半ば、映画館というJAZZの店に行った。

ずいぶん前に行った時は店主はいなくて、

元気のいいお母さんがランチを作っていた。

都営三田線に乗り換え、遠いなと思う。

ご主人にお幾つですかと聞かれ、

即座に90歳ですと答えたら

立派ですねと云ってくれてうれしかった。

ご主人に会えてよかった。

(今村昌平がお好きだと聞き、あとから

「復讐するは我にあり」を観てしまった。

ものすごい社会派、すごいの一言!)

 

2022年7月

7月も終わりになろうとしている。

今月はニュージーランドから戻ってきてくれた

Nのことを書こう。

日本が好きで、必ず戻ってくると言っていた。

東京で生きていくのは

本当に大変だろうと思うけれど、

自分のやりたいことを

しっかりもって活動している。

彼にメッセージを送った。

「何にもしてあげられないけど、

 よい仕事をしてほしいと

 心から応援しています。

 貴方はきっとやります」

 

2022年6月

東京で毎日35℃を越え、ものすごく暑かった。

本当に暑い、それなのに電力逼迫とは。

クーラーもつけられなかった頃を思い出し、

私は最後まで、つつましく生きていこう。

こんな体になってしまったけれど、

50周年に向かって元気に生きていこう。

誰が何といっても、すてきに生きていこう。

 

2022年5月

一年のうちで一番よい季節が5月なのに、

今年は気温差がめちゃめちゃだったように思う。

30度以上もあったり、

いつまでも暖房がほしかったり。

28日に、一品持ち寄りパーティをした。

とても楽しかった。

久しぶりの集まり、みんないい人ばかり。

早く体を直したい、本気でやります。

 

2022年4月

すばらしい季節になった。

待ちに待っていたが、

日によっては、雨と曇りばかりでとても寒い。

しかし季節が変わると

何かいいことあるだろうと期待する。

毎日歩いていて、足の動きは大きくなり、

大股に歩けるようになったのに、

未だふらついて、しっかり歩けない。

でも何となく、希望が出てきた。

とことんやろう、うれしいです。

 

2022年3月

3月に入り、気がつけば桜の花が満開。

あっという間に咲き始めた。

でも私には花を見ている余裕はない。

転ばないように足元をしっかり見て、

ゆっくり歩く。

今年に入って3ヶ月、

毎日欠かさずに歩いている。

先日、阿佐ヶ谷の映画館に

コルトレーンの映画を見に行った。

コルトレーンの音楽を

本当にわかるのは難しいが、

彼の信じた神への道筋は、本当にすばらしい。

観に行ってよかった!!

月の終り、東京カテドラル大聖堂での

結婚式に参列した。

厳粛な雰囲気に感動した。

どうかずっと、お幸せに!!

 

2022年2月

2月という月があっという間に過ぎてしまう。

私は毎日歩いてお風呂に入り、

同じことを繰り返している。

この体、足がふらつきながら

これから生きていくのだろうか。

未だかすかに直るかもしれないと

いう願いがある。

リハビリを続けていって、直っていくだろうか。

もう少しやってみよう。神さまお願いです。

きっと努力しただけのことはあるだろう。

 

2022年1月

小脳出血の後遺症によるふらつき、

1月で約1年になる。

少しでもよくなってほしい。

毎日歩き続けているが一向によくならない。

足はしっかりと歩けているが

ふらつきが直らない。

これがなくなれば体を伸ばして歩けるのだ。

直らないと思いながらも、

もう一度やってみよう。

週一回のリハビリが始まる。

きつくても、半年間はやります。

 

2021年12月

12月5日は私の誕生日です。

年をとることに不安を感じる人もいますが

私はうれしいのです。

50周年まであと2年。

あまり歩けないけど会話はできる。

何よりうれしいのは、

娘と大の仲良しになれたこと。

仕事が忙しく、子供をかまってやれなかった。

しかし立派に成長してくれました。

私の仕事を継いでくれるかも。

なんてしあわせなんだろう。

ホテルオークラでのプレゼント、

ほんとうにありがとう。

 

2021年11月

時々耳が聞こえないようになって、

補聴器を見にいった。

どうしようか迷ったが、家族に困るからと言われ

家族のために、購入することにした。

もう一度、話ができる自分になろうと、

決心した。

50周年になるまで、

どんなになっても生き続ける!

足が治っていなくても、私は歩き続ける!

 

2021年10月

10月に入ってコロナは急速に収まってきた。

16日に、48周年の会を開いた。

当日はすばらしかった。

時間になったら続々とお客さんが

集まってきて、皆でカンパイをした。

この体、この足はもう

直らなくても、生きていく!!

50周年を目ざして!!

皆ありがとう、生きていてよかった!

こんな体になってしまっても

拍手してくれて、応援してくれる。

すばらしい、みんな本当にありがとう、

心からありがとう。

 

2021年9月

9月に入った。

もう夏が終わったような気がした。

しかし台風14号が九州を襲った。

予約していた歯医者に行こうと歩き出したが、

ものすごい雨。

帰ろう帰ろうと言われながら、

結局、ずぶぬれで歯医者まで行ってしまった。

その姿を見て、家族は初めて

私の姿勢、やる気を認めてくれた。

これでいい、これが私の生き方だもの。

家に帰ったら雨はやんだ。

 

2021年8月

世の中の反対を押し切って

始めたオリンピック。

コロナの先行きが心配だったが

何とか無事に終わった、ほんとうによかった。

ケニアのマラソン選手、素晴らしかった。

ゴールのとき大きな手をひろげて笑った。

ぐっときました。

日本は最後までワクチンを打ち続けて

コロナと戦ってください。

そして小さくてもいい、

楽しい日々がおくれますように。

 

2021年7月

気がついたら7月に入っている。

7月はいつもならセミが鳴いていて

子供たちが楽しそうに走っている姿が

目に浮かぶが今年はいつもと違う。

コロナがなくなったらいいなと思っているけど

何時になるだろう。

11月はお店の再オープンです、やります。

集まってくれる人だけでカンパイします。

何としてでも歩ける体になろう、

50周年まで!!

 

2021年6月

今月はやっと2回目のワクチンが終わった。

やれやれという感じ。

これで今年中にコロナがいなくなったら、

本当にうれしい。

ほっとしていたら、また大ショック。

お店の前で転んでしまった。

隣のお兄さんに助け起こされ、ベットへ。

背中や腰が本当に痛い。

翌日、長く歩けないのでタクシーで整形外科へ。

またまた寝込むことに。

体力がどんどん落ちていく、つらい毎日。

医者からは痛みが取れるまでには

3ヶ月かかると言われたが、

早く歩けるように祈っている。

あと2年生かしてもらえればいい。

 

2021年5月

3月の終わりごろ、“花泥棒は珈琲屋さん”という

お店のマスターがご夫婦でいらした。

43年珈琲屋をやっているそうだ。

マスターは、2年ほど前に、

うちに来たことがあるらしい。

先日、その“花泥棒”に行ってみた。

コーヒーが美味しい。

うちとは全然違う。

私は私のやりかたでいく。

そのあと、マスターに紹介され、

最近できたもう一軒の小さなお店で、

チョコレートのカフェをいただいた。

これからどうなっていくのか、

時々行ってみようと思う。

 

2021年4月

4月になった。

3月は長いと思っていたが、4月はもっと長い。

コロナは依然として、ひどくなるばかり。

でも私は50周年まではやります、

どんなことがあっても。

お客さんの赤ちゃん、

最初は会うことも出来なかったそうだ。

実際に会えたのは一週間後だったらしい。

すぐに抱くこともできないなんて、

コロナはなんてひどい…。

赤ちゃんの写真を見せてもらった。

まだしわが残っているが、とてもきれいな女の子。

すばらしい!

生まれるって素晴らしいことなんだね!

 

2021年3月

思い出すままに書いていこう。

気がついたら3月も半ばになっていた。

この日は家族の誕生日、

ホテルで一緒にお茶を飲みお祝いをした。

家族のよさにあらためて気づいた。

本当にここまで生きてこられた、

家族のありがたさに胸がいっぱいです。

もうこれでよい、本当にありがとう。

お客さんに女の子が生まれた。

とたんに自分の子が生まれた時を思い出した。

これからは体を大事にして生きていく、

家族と二人で。

 

2021年2月

去年入院し、退院してからも寝てばかりだった。

自分のこととは思えない、つらかったです。

誰かに電話するのもおっくうで、

毎日食欲があるから助かったのだと思う。

2月17日病院で検査、よくなっているとのこと。

無理をしないで、毎日、少しの時間だが、

お店を開けることにした。

私は幸せです、家族とお客さんがいるから。

 

2021年1月

もう昔のことで毎週書いていたが

いつのまにか20年近く続いている。

その週にあった出来事を何の変哲もなく

その時その時思ったことを書き続けてきた。

今は本当に書けなくなってきた。

それでもいい、

ひとことでもいいから残していこう。

内科の先生から、無理しない範囲で

歩いたほうがいいよとすすめられ、

近所の道を歩きはじめた。

きっと直してやる。

固く心に誓って毎日を過ごしている。

私にあと3年ください、そして50周年になったら

あとはおまかせします。

どうぞあと3年ください!

 

 

2020年12月

コロナがひどくなってきて、

大勢で集まるのは自粛するようになってきたが、

一年に一度のお祝いだから

やれる中でやろうとパーティを予定していた。

しかし、11月24日。

いつものようにプールに行ったが、

少し体がおかしかった。

早めに上がって、動こうとしたが動けない。

周りの人に助けてもらい、受付の控室で休む。

家まで送ろうといってくれた隣人の好意を断り、

救急車を呼んでと頼む。

その後、自分ではどうなったかわからない。

病院で、小脳出血と診断されたそうだ。

最初の病院から、また別の救急車に乗せられ、

中野警察病院へ。

 

無理がたたって、出血してしまったが、

大事にはならなかったようだ。

12月5日、くしくも私の誕生日に

退院することができた。

今は、体がふらつくが、話はしっかりできる。

退院しても寝てばかり、少しづつ歩いたりして

リハビリしよう。

50年と一口に言うが、大変なことだ。

しかしやるぞ、あと3年。

体は動かないが気持はしっかりと。

私は今まですごく健康だった。

50周年やれたら満足です。

家族にありがとうと言いたい。

 

 

2020年11月8日(日)

月日はどんどん過ぎていく。

ひとりごと、無理に書かなくてもと思うが

記録として書いていく。

これからは体を大切に、

これ以上書くことはない。

コロナはどんどんひどくなっていくが、

あと3年で50周年、やり続けます。

 

2020年11月1日(日)

11月に入った。

POSY47周年パーティの月だ。

本当は10月10日頃に始まったと

記憶しているがいつのまにか

パーティは11月にやるようになった。

どんな状態でも続けます。

50周年まで生きていこう。

あせってはだめ、いつもと同じように。

私のマイゴットに誓う。

 

2020年10月18日(日)

日々のたつのは早い。

一日一日とやることは

いっぱいあるけれど

でも一生懸命生きてきた。

悔いはない。

常連のお客さんが今年もパーティ

やりましょうと言ってくれた。

顔を見るだけでいい、

みんなで喜びをわかちあいたい。

11月28日、47周年パーティです。

 

2020年10月11日(日)

今日はすばらしい一日だった。

大家さんがご家族で来訪。

お元気だった奥さんに代わって

今は娘さんが大家さんだが、

「家賃を毎月キチンと払っていて

 遅れたことが一度もないと

 母から聞いています」と言われた。

47年間、ずっと続けてきた中での、

さまざまなできごとを思い出した。

先が見えない中、苦しいけれど

毎月、家賃は払い続けてきた。

「50周年めざしてください」とも言われた。

あの頃が夢のよう。

 

2020年10月4日(日)

10月に入った。

何と早かったことか。

実際何をしていたのか。

先のことはわからない。

でも確実に未来は変わるだろう。

毎日が幸せになるように。

どんな人にでもにっこりしよう。

まずは笑顔で。

 

2020年9月13日(日) 

先日またFさんが現れた。

以前とは別のごとくしっかりとして

メニューを頼んだ。

本当にびっくり、別人のようだ。

今度来るときは親を連れてくるとか。

彼の話をもっと聞きたい。

本当はしっかりとした家の息子で、

ジャズにくわしい人だとわかった。

 

2020年9月6日(日)

9月になった。

もう9月なんて信じられない。

コロナのせいか1ヶ月が

すごく早い、あっという間だ。

しかしあせっている間に

月日はたっていく。

やることはやろう。

どんなにつらくても、

毎日を決めたことやろう。

 

2020年8月30日(日)

先日来店した常連の人、

北口にマサコができたから

行ってみようと思うと言った。

長い間来てくれて本当にありがとう。

とにかく20年以上来てくれていた。

本当にありがとう。

心からお礼を言います。忘れません。

どんなになっても50周年までやります。

 

2020年8月23日(日)

前回より続きます。

ミンミンゼミが鳴いていた。

純粋だった…いとこも…。

あの日のことは、はっきりと覚えている。

明日からうれしい夏休み

まぶしく晴れた大空に

真っ白い雲が浮かんでる

…この歌を思い出す。せつない!!

私の疎開時代。

75年前、夢の中のよう。

 

2020年8月16日(日)

夏は多分好きだったと思う。

毎年、田舎のおばさんの家に

遊びに行っていた。

にわとりの沢山いる農家だった。

8月15日、おばさんと母が

田んぼの中でひそひそと

話をしていたのをはっきり思い出す。

あれは終戦の日。

疎開先のおじさんの息子が

あの日、男泣きに泣いていた。

 

2020年8月9日(日)

8月に入ると同時に暑くなった。

暑さには強いと思っていたが

ものすごく水が飲みたくて

浴びるように飲んでから寝た。

これ、経験したことのない初めての暑さ。

もう少しこれがひどくなると

熱中症なのだなと感じた。

 

2020年8月2日(日)

毎日思い悩んでいるうちに

もう8月に入ってしまった。

本当にこわい。

コロナがいなくなるのは

何時のことかわからないが

もう何もかもなくなって

焼け跡にたたずむようなものだ。

呆然として抜け殻のよう。

そこから立ち上がっていけるのか?

 

2020年7月26日(日)

47年になるんですね、

すごい年月ですね、と言われ

それでも続けている。

ほんとうに、この店をやり続けてきたのが

私の凡てだと思う。

始めてから、もう自分にしか判らない

つらかったこと、うれしかったこと。

よくやってきたと、自分をほめてやりたい。

あと3年やります。

 

2020年7月19日(日)

閉店時間が近づいた頃

ドアベルが鳴ったので出てみたら

いつも来てくれるFさんだった。

もう時間がなかったが

ほんの少し会話した。

人と長く会話してはいけないなんて

今の生活の中ではとても残酷。

でも彼とはぐっと親しくなったように思う。 

 

2020年7月12日(日)

早くコロナが終わってほしい、

早くこのいやな時期が

過ぎてほしいと思いながら、

いったいいつ終わるのかわからない。

本腰を入れて立ち向かおう。

来てくれるお客に対しては

もう心から感謝している。

笑顔で、誰とでも接しよう。

 

2020年7月5日(日)

7月に入った。

びっくりするくらい早い。

なにもかも押し流して

月日はどんどん過ぎていく。

これからもお店やり続けていこうと思うが、

やり方が変わっていくと思う。

もう元気のいい、さわがしい雰囲気ではなく

ほんとうにジャズの好きな人が集まって

静かに聴きながら、いろいろな話をしたい。

 

2020年6月29日(日)

今日やっと久しぶり

プールに行くことができた。

コロナのために3ヶ月も休んでいた。

少し緊張してドアを開ける。

いつものお兄さんはいなくて

初めての人から用紙に住所氏名を

書くように言われ、熱をはかった。

プールの入口には顔なじみの

受付の人がいて、ほっとした。

とても空いていて人は少ない、水がきれい。

いつも会う常連の彼女が手をふっている。

お元気そうですねと言われ、うれしかった。

 

2020年6月22日(日)

先日いつも来てくれていた

新聞配達の彼が久しぶりに来店。

ほんとうにうれしい。

その後に来た初めてのお客さん、

モルトウィスキーを注文してくれた。

高い値段になったが

カップルで静かに飲んで、帰っていった。

ほんとうにうれしい。

どんなお客もうれしい、ほんとうにありがとう。

 

2020年5月24日(日)

先日よりわずかな時間(5時~8時)

営業を再開した。

ほんの3時間、誰もお客は来ないだろうと

思っていたら、

近所に住んでいる常連のNさんが

友達を連れて来てくれた。

うれしい、ほんとうにうれしい。

お店は人と人とのつながり、

お金の問題ではない。

誰も来ないと思っていた。

本当にうれしかった。

 

2020年5月17日(日)

先日、何ヶ月ぶりに

下北の駅方向を歩いた。

丁度お昼ごろで街は活気を

少し取り戻しつつあった。

しかし、まるで変わっていた。

もう以前とは全然違う、大きな店ばかり。

私は下北の、小さな店が並ぶ、

ごちゃごちゃした感じが好きだった。

昔の下北が忘れられない。

 

2020年5月10日(日)

ほんとうにこれから

昔の生活に戻っていけるのだろうか。

最悪の不景気になるだろう。

今までのようにぜいたくはできない。

何とか支えあって生きていくしかない。

しかし、これから考え方も変わっていくだろう。

100年に一度の大災害となってしまったが、

これからは人と人、にっこり笑顔を忘れない!

 

2020年5月3日(日)

5月に入った。

こんなすばらしい天気なのに

さらに5月末まで

非常事態宣言が続くという。

コロナのせいで精神的にまいってしまう。

もう泣きたいくらい体が弱ってしまった。

でもこの状態が過ぎ去ったら

お店再開します。

体をよくして、やれる日を待ちます。

それが私のよろこびだから。

 

2020年4月26日(日)

私はここまで生きてきた。

生かされてきたのかもしれない。

精一杯生きてきた。

今やっとふりかえってみて年ごとに

つちかってきたものが、はっきりわかる。

きらきらともえていた。

心からの笑顔、誰にでもどんな人にも今は出来る。

ゆるせないと思った人にも、知らない人にも。

ほんとうに心がさわやかになりました。

しあわせです。

 

2020年4月19日(日)

ジャズミュージシャンたちがコロナで

亡くなったと友人から聞いた。

リー・コニッツ、エリス・マルサリス、

ウォレス・ルーニー…。

ほんとうにコロナはこわい。

あのニューヨークが惨憺たる有様に。

私はこの日本の片隅でじっと

コロナが収束するのを待つのみ。

それにしても、このすばらしい季節はなんだろう。

 

2020年4月12日(日)

コロナのせいでどこにも行けない。

気持が落ち込んでしまっているので

そっと近くを散歩した。

50年近くここに住んでいるのに

未だ行ってない所もあった。

いつも通らない小学校の前から

元病院の裏道を歩いた。

こんな近くに、こんな静かな所があったなんて。

とても良い時間だった、また来よう。

 

2020年4月5日(日)

4月に入った。

なんて気持の沈んでいること。

海外のように都市封鎖はできないのだろうか。

緊急事態宣言が出るという。

今日からお店を休むことにしたが正直つらい。

でも生活は今までどおり変えない。

朝起きたときからやることを変えない。

レコード聴くこと続けていこう。

プールも休みだがそこまで歩いていこう。

5月からお店やれますように。

 

2020年3月29日(日)

近所に住むニュージーランドの青年、

最近心配です。

いつも早朝お店のドアをたたいて

私がレコードを聴いているのをたしかめ

安心してどこかへ出かける。

最近、声をかけてくれても、

前のように大声でしゃべらず去っていく。

元気がないように見える。

心がとてもやさしく、思いやりのある人。

また元気よく大声で話す彼の姿が見たい。

 

2020年3月22日(日)

私は最近までバド・パウエル(p)を

しっかり聴いていなかったように思う。

精神病を持ちながら、自分をさらけ出し

弾きまくった彼の真髄が

最近、見えてきたように思う。

もう次から次へと彼のアルバムを探す。

バド・パウエルのアルバムなら何でも好きと

言っていた人の気持やっと判るように。

ジャケットに写る彼、

晩年とは思えない精悍さ。

何度も何度も聴いているうちに

ジャズの凡てがわかってきたように思う。

 

2020年3月15日(日)

私はとても健康だった。

病気らしい病気もしないで

ここまできた。

プールに行っても風邪で

ごほんごほん咳をしながら

泳いでいたのをおぼえている。

でもやはり年齢と共に

体も弱くなってきた。

足が弱ってきたのに体の中は

悪いところなどないと自信持っていたが

やはりだめだった。

検査の結果、病院通いとなった。

 

2020年3月8日(日)

コロナウィルスなんか大したことない

と思っていたがやはり毎日が

何となく息苦しくなってきた。

目に見えない圧迫感。

恐ろしい、世界中に広まってきた。

どうなるのだろう。

地球温暖化は?

地球は行き着くところまで?

 

2020年3月1日(日)

いろいろあった2月もやっと無事に終わり

3月に入ってやっと

桃の花の季節がやってきたというのに

コロナウィルスが目に見えない形で

じわじわと蔓延してきた。

全国の学校閉鎖、

人々が街に、お店にも来なくなってきた。

いつになったら安心して

ささやかに暮らせるのだろう。

日本は本当に次々と

災害に見舞われていく。

 

2020年2月23日(日)

先日、近所に住んでいたIさんに

久しぶりにお会いした。

沢山の友達に囲まれお誕生会を

ホテルで迎えたこともあった。

今は家族5人で暮らしているそう。

元気なIさん、おしゃれをしたり

お買い物をしたり…。

来月は88歳のお祝いをするという。

自分の生き方をしていて、

とてもすばらしいと思う。

 

2020年2月16日(日)

このところよくお店に現れるFさんのこと。

一番びっくりしたのは、とてもジャズのこと

知っている、思わずえっと言ってしまった。

おとなしくて、何考えているのかわからなかったが、

突然、ドナルド・ハリソンのことを話し出した。

私もニューヨークで聴いたことを思い出した。

4人のサックス奏者の中に、ドナルド・ハリソンがいた。

デビューしたときから知っていて、いいなと思っていた。

ニューオリンズ出身の、地味だが実力ある人物。

 

2020年2月9日(日)

先日の日曜日、ちょっとした事件があった。

夕方早い時間、一人の男性が来店。

普通の感じで、ジャズはとても好きで、

いろいろ聴いていると言って、しゃべりだしたが、

とても酒ぐせが悪いようで、だんだん

手をふりかざし、物にあたるようになってきた。

隣にいた男性客が110番してくれたので

助かった、警官が来てくれて

なだめすかして、外に連れ出した。

ほんとうに大きなことにならなくて、よかったです。

 

2020年2月2日(日)

2月に入った。

50周年は遠いけれど

毎日はものすごく早い。

何にもしないでいるとすぐに

夕方になってしまう。

毎日やることだけは決めておこう。

その積み重ねだから。

先日姿勢が良くなったと

ほめられた。うれしい。

今月は一年に一度の検診に行く。

どこも悪くないよう祈るばかり。

 

2020年1月26日(日)

おととい、あるお店の常連さんたちが

5・6人こぞって来店してくれた。

本当にうれしかったです。

このひとりごとを読んでくれている人や

POSYで聴いたアルバムのことを

雑誌に載せてくれた人もいた。

私は今まで精一杯生きてきました。

もうすぐ50周年になろうとしている今

やっと人との出会いの中に

誰とでも仲良くしていける自分を

見つけることができました。

ありがとう。

 

2020年1月19日(日)

17日最後の通院日。

病院への途中、電車の女性専用車に乗る。

中に入ると、奥に座っていた女性が、

すっと立ち上がって席を譲ってくれたが、

ゴトンと電車が動き出し、はずみで、

仰向けに派手なころび方をしてしまった。

その時、別の女性の腕をつかんでしまい、

上着の一部と、ボタンをひきちぎってしまった。

本当にごめんなさい。

特に痛みはなく、病院の診察後、

45階都庁の展望台に行った。

やっと心が落ち着いた。

 

2020年1月12日(日)

先日、うれしいことがあった。

昨年の未だ暑いころ、

お店が終わる時になって

酔っ払って、一人で来ていた男性客が

「お金持ってない」と言い出した。

仕方なく、その人の私物を預かった。

ジャズ好きの、悪気のない青年、

きっと現れると思っていた。

一言すみませんと言ってほしかったが。

 

2020年1月5日(日)

新しい年2020年に入った。

体は弱ってきているが

気持はとてもさわやか。

毎年行っている砧公園までの歩きを

今年はどうしようかと迷ったが…。

途中での一杯のコーヒーが

私をとても元気づけてくれた。

7キロの道をたどりたどり

やっとの思いでたどりついた。

昔の旅人が大山まで歩いたというこの道、

どんな思いで歩いたのだろう。 

 

2019年日曜日のひとりごとはこちら